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墓は家のシンボル お墓を長持ち
させるための方法!
石都岡崎の
石材産業の歴史
墓の歴史

墓は家のシンボル

 人間とは社会性を必要とする生き物であり、決して一人では生きてゆくことは出来ません。
 社会生活でのルールを守らなければ、当然のように不幸な立場に追いやられます。こうした中で、墓を立て先祖を供養して敬うことにより、社会の中の一グループ親族としてのアイデンティティーを確立し、先祖を敬うことでグループ内の自分の立場を自然にみつけ、目上の人への敬意や対応を身に付けることに役立ちます。昨今、個人主義的な考えから先祖を敬う行為を疎む傾向が強くなってきたことにより、人の心が殺伐とし、世の中で信じられないような事件を巻き起こす一因とも考えられます。
 先祖供養を怠り自分の不幸を嘆いてはいけません。

墓石建立の効果8か条

1. 親族に連帯感が生まれる。
2. 相続が自然に行われる。(後継者が自然に決定される。)
3. 主人の権威が生まれる。
4. 目上の人を敬う秩序が保たれる。
5. 宗教的道徳観が生まれる。
6. 老後の安心感。
7. 先祖が美化される。
8. 社会的信用が増加して行く。

お墓を長持ちさせるための方法!

 お墓は石でできていますので、建立すれば半永久的に存在し続け、腐ったりすることはありません。末代まで残していけるものでもあるからこそきれいな状態でお墓を残していきたいものです。
 多くのお墓は野外に建立します。そのため風雨にさらされ、ほこり等が表面に付着して墓石の表面劣化の原因をつくります。コケやカビが付く時もあります。また、樹木が近くにある場合は樹木からのしずくや落ち葉等で樹木のアクが付く場合があります。このアクは非常に落ちにくいものですので気を付けたいものです。
 お墓をきれいに保つには、こまめにお手入れをすることをおすすめします。定期的なお墓参りをして、そのつどお墓の掃除をすることが墓石をきれいな状態で残すことにつながる事になります。よく勘違いされている方がいますが霊園に支払う管理料は個々の墓石に対してのもので無く、霊園の共有部分(通路等)に対するものですので個々の墓石のお手入れはご自身で行わなければなりません。
 お墓のお手入れ方法は、雑巾・たわし・スポンジ等で水洗いしてください。(最近のお墓は表面仕上げがしっかりしていますので、水で濡らしてゴシゴシ擦ればどんどん汚れは落ちていきます。)水洗いした後は乾いた布で表面の水分を拭き取ってください。その際に、墓石にひび割れ等無いかチェックしてください。もしひび割れ等の異常をみつけたら専門業者に早めに連絡して相談して下さい。周りに草などがありましたら必ず取っておいて下さい。
 お参りの際に使用したお供物は、お参りがすみましたら持ち帰るようにしてください。お供物が腐って墓石に汚れを付ける可能性があります。また、鳥や虫等が集まりその糞が墓石に付くと墓石の劣化の原因になります。お参りに使う金属製の器具はそのまま放置されておくとサビが発生し墓石に付きますので必ず持ち帰りましょう。サビが付着するとなかなか取れませんので気を付けて下さい。
 このように、先祖へ感謝の気持ちを抱いて定期的にお参りする事が、結局はお墓をきれいな状態に保ち長もちさせる事につながります。ぜひ定期的なお墓参りを行って下さい。

石都岡崎の石材産業の歴史

 今から五百年前、岡崎城主であった西郷稠頼(つぐより)が岡崎城の築城に当たり、岡崎のみかげ石を多く使用したのが始まりで、その後城下町を作るため、城を広げ、石垣や掘りを築くのに、優秀な石工を和泉の国から移住させて作ったのが岡崎石工業の始まりとされている。
 また、市中心部より8キロ東北の地に、加工しやすい良質な石材の産地を有しており、その豊富な採掘量も岡崎石工業の発展に寄与した原因のひとつとされている。
 昭和三十年代、戦後の経済成長にともない石工業界にも大型機械化や機動力・技術の向上など近代化の波が押し寄せ始めた。昭和39年多くの業者は手狭になった市中心部の「石屋町」を離れ、岡崎市矢作地区に移転する石工団地構想を立ち上げ、昭和42年に、現在の地、岡崎(矢作)石工団地で操業を開始した。
 こうして作業場の拡張、設備の近代化がはかられた岡崎石工業は、より一層の発展を遂げ、現在でも技術、生産高は共に全国トップレベルにある。また、技術においては、通産省(現在は経済産業省)より伝統的工芸品の指定を受け、岡崎市における工業生産高の重要なものとなり、愛知県の地場産業として全国に認知されている。

製品加工工程の移り変わり

1. 手工業による加工・研摩時代・・・・・・・明治大正年間
2. 一部機械化の進出・・・・・・・・・・・・昭和初期
3. 大型機械・機動力・近代化の推進・・・・・昭和36年以降
4. 大量生産、製品の大型化により工場設備、作業所の拡張
5. 家内工業より合理化企業への体質改善

岡崎石工業石製品の加工品目

庭園用各種灯籠・各種墓石・仏像各種彫刻品・近代建築用板石・神社仏閣一式 その他石製品全般

墓の歴史

 私たちが今墓と呼んでいるものの歴史を古代より簡単にまとめてみました。

縄文・弥生時代

縄文時代からすでに死者を埋葬し、素朴なお墓を造る慣習がありました。 弥生時代になると、身分の高い者は木棺・石棺・甕棺などに納められて埋葬されました。

古墳時代

三世紀後半以降になると、権力者の巨大な古墳が造られるようになりました。

7世紀以降

646年の大化の改新では「薄葬令」が出されています。これは葬礼や造墓について身分ごとに規定し、集合墓を造ることを定めています。700年、奈良の元興寺の僧侶・道昭が遺言により火葬されました。これが日本で最初の火葬とされています。703年、持統天皇が天皇として初めて火葬に付されました。

鎌倉時代以降

鎌倉後期から室町時代にかけて禅宗の僧侶により中国から位牌と戒名が伝えられました。お墓の形も、位牌型の板碑や角柱型の墓石が造られるようになりました。

江戸時代

江戸時代の始めに檀家制度が確立され、全ての人々が寺の檀家として所属させられました。こうして日本人の先祖供養や葬儀、お墓に関する年中行事が生活の中に定着していったのです。

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